私は長らく精神科門前の薬局にて勤務していましたが、そこの患者さん、そして自分自身に心身の不調があらわれるのを見て、どうすれば改善するのかずっと考えてきました。
その結果、「頑張り過ぎ」、あるいは「誤った頑張り方」による悪影響はとても大きいと感じるのです。
ここでは、私なりに考え、気をつけていることや、周りにお伝えしていることなどをまとめてみました。
この考えがすべてではありませんが、参考程度に読んでいただければ嬉しいです。笑
意識しなくてもあなたは頑張るから
あなたは「自動的」「反射的」「無意識」に頑張る癖がついてはいないでしょうか。
「何かしないと落ち着かない」
「休むことに罪悪感を感じる」
「ちゃんとしてないとダメだ」
このような人は少なくないでしょう。
これはこれで凄いことなので別に変える必要はなく、そのままでいいと思います。
お伝えしたいのは
「どうせまた自然に頑張っちゃうんだから、少し休んだって大丈夫」
ということです。
「無意識」で頑張る人は、「意識」では頑張らない。その方がバランスが取れるのではないでしょうか。
頑張ったら報われるわけではないから
世の中は頑張ることを美徳としながらも、意外に頑張っている人を正当に評価しないものです。
なぜかというと、「努力」より「結果」で判断する方が「楽」だからです。
「あの人は頑張ってるけど、結果が出てないから改善の余地あり」「あの人は頑張ってないけど、結果を出してるから文句が言えない」
こういう言葉をよく聞くのがその証拠です。「結果」という客観的な指標に頼った方が、そりゃ論理性が増しますから。「結果は出てないけど頑張ってるからOK!」なんてあまり聞いたことがない。笑
でも逆にいえば、報われるために努力は必須ではないのです。
人が「報われる」と感じるのはおそらく、
「努力>報酬」から「努力<報酬」
に変わる時だと思うのです。
だからまず、努力量を少し減らしてみる。
そうしても意外と「報酬」は変わらない(むしろ増えることすらある)ので、相対的に幸せになれる可能性はあると思うのです。
「頑張るあなた」が当たり前になってしまうから
あなたがいつも頑張っていると、周りの人達にとってそれが当たり前になり、褒めてもらえるどころか「じゃあこれもやってくれるだろう」なんて仕事を増やされることもあります。
でも、普段だらだらしている人がたまにやる気を見せて働くと「凄い!ありがとう!」なんて褒められたりします。
「ギャップ萌え」ってやつです。笑
普段から頑張っている人からしたら、不公平ですよね。でも実際はこういうことが起きてくるのです。
もっというと、逆も起こり得ます。
普段頑張っている人が時々「休みたい」なんていうと、「今まで頑張ってたんだな」なんて周りが再認識してくれることもあるのです。
強弱があった方が、頑張りは評価してもらえやすいのです。くれぐれも「ずっと強」でいないように。
あなたの代わりはいるから
誤解のないよう書いておきますが、あなたという人間はひとりしかいません。
ただ、あなたが抱え過ぎた「仕事」や「重荷」は代われる人や手伝える人がいます。
見ていると、この「他力」の使用頻度は、人によってかなりの個人差があります。
人に頼ってばかりで迷惑がられる人もいれば、最後まで自分でやらなければいけないと思ってしまう人もいます。
私はこれは「癖」のひとつみたいなものだと思っています。
だから頼り下手な人が、「もっと人に頼ればいいよ」と言われても、どうやったらいいのかわからないこともあるでしょう。
どこまでいったら頼るか、その相手が忙しくないか、などを考え、頼る時すら「完璧な状況で頼もうと」なんてしてしまったり。笑
で、逆に疲れることもあるので、別に無理して頼る必要はありませんが、頼るという「選択肢」は持っておいてほしいと思います。
「自分で頑張り過ぎてるから、あとでクタクタ」
「自分が頑張り過ぎてるから、他人にイライラ」
こうなるくらいなら、誰かに代わりを任せて遊ぶなり休んだりする方が、結果としてみんな幸せになるものです。
少なくとも体や心を壊すよりは、「甘えん坊」の方が健全かもしれませんよ。
立派になることだけが生きる目的ではないから
成長したり立派になることが人生の目標のように語られることが多いですが、本当はそれ「人による」と思います。
別に「立派度はそこそこでいいから、楽しく生きたい」でもいいじゃないですか(笑)。もちろん成長することにも楽しさはあるので、それが好きな人はそうすればいいってだけです。
猫を見てください。目的も向上心もなく、ただ好き勝手に遊んで、食べて、寝て、それでも可愛がってもらってます。笑
「人間と猫は違う!」といわれたらその通りですが、実際この猫のような生き方をしてる人っていますよね。
だらけてばかりでも何ですが、時々は「立派思考」を捨ててみてもよいのではないでしょうか。
立派になれなくても、人の価値に大きな差なんてないのですから。
頑張ら「されて」いるから
いまの頑張りが「自分で選んだものなのか」「状況に流されているのか」ということも重要です。
人は自分で決めてやり遂げた方が「ドパミン」が多く分泌され、やる気や達成感が得られるそうです。
これが「やらされ仕事」だとやる気も出ないし、終わっても達成感はなく「徒労感」だったりします。
また、「自己決定感」が高いほど「幸福感」が高いという報告もあります。
なるべく日々の行動に「自分なりの工夫」「自分の好きなやり方」「自分のしたいこと」を組み込み、頑張ら「される」のを減らしていきましょう。
頑張る以外の選択肢もあるから
「結局、やるしかないから頑張ってる」という人は、少し視野を広げてみることもオススメです。
例えば仕事や家事がたくさんなら、時短術や効率化の方法を本やネットで検索すれば、今の時代は色々な方法がみつかります。少しお金を出して便利グッズ・家電を買うのも、長期的にみれば有効な投資です。
人間関係なども同じで、頑張って付き合わずに距離を置くという選択肢もあります。それでもだめなら、環境を変えるのだってひとつの方法です。
「がむしゃらに頑張る」のはどちらかというと短期的に使う手段で、長く元気でいるには「サボる」「逃げる」といった技術も併用する必要があります。
「頑張る」と「頑張らない」はどっちがよいというものではなく、ともに必要な手段です。「二刀流」でいきましょう。
頑張ると健康に悪いから
人間は短期間であれば、ストレスに対抗するためのホルモンが分泌され、耐えられたり逆に強くなることもあります。色々と動き方や考え方を順応させるためにも、少しの間は頑張ってみてもよいでしょう。
ただ、長期間に渡り慢性的なストレスにさらされると、これらのホルモンなどは異常をきたします。
「コルチゾール」が過剰分泌されれば「胃腸障害」「不眠」「過食」などにつながります。
「アドレナリン」が過剰分泌されれば「高血圧」「動悸」「不眠」などにつながります。
「セロトニン」が減少すれば「うつ病」「パニック障害」などにつながります。
これらの異常は、慢性化すればするほど治るのにも時間がかかるようになります。
軽度でも心身の不調を感じ始めたら「このまま行くとヤバイよヤバイよ」というサインだと思って、頑張る量を減らした方がよいでしょう。
適切な「頑張り量」というものがあるから
薬と同じで、頑張りにも適切な「用量」というものがあります。
個人差はありますが、私は目安として「70%」と考えています。
あくまでこれは平均値で、日によっては90%くらい頑張ってしまう時もあると思いますが、そんな時はどこかで50%の日を作ったりして帳尻を合わせるとよいと思います。
頑張りの「副作用」を予防するためには、そのくらいを意識しておくとよいでしょう。
ただ厄介なのが、頑張る人は「(本当は100%だけど)まだ70%!」とサバを読むことがある。笑
このような人は、用量をもっと下げた方がよいかもしれませんね。
「心」が望むなら頑張ってもいい
例えば、自分にとって意味があると感じることをしている時や、大切な人のために何かをしている時は、大変さをあまり感じずに頑張れることってありますよね。
疲労は感じても「気持ちのいい疲れ」で、気分は晴れやかだったりするのではないでしょうか。
健全な頑張りというのは、このような状態なのだと思います。
そして、このような時の方が結果も出るものです。
「頑張り」×「心」=「結果」
だとしたら、頑張りを「×2」にしても、心が「×0.5」であれば、結果は「×1」で元のままです。
頑張りを「×1」に減らしても、心が回復して「×1」になれば、同じ「×1」だから大丈夫。
心が「×2」になると、自然に頑張りも「×2」になったりしますから、「×4」です。
「脳」の「頑張らなければ(義務)」ではなく、「心」の「やりたい(希望)」に従うのであれば、よい結果につながるのではないでしょうか。
もっとも、この時は「頑張っている」なんて、そもそも感じないかもしれませんけどね。
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