罪悪感は感じてもいい。無理に解消せず付き合うための3つのステップ

生きるヒント

「他人に迷惑をかけている気がする」

「うまくいかないのは私のせい」

「こんな自分でごめんなさい」

そんな考えに至りやすい人って、いると思います。

そうして自分を責め続け、幸せな気分になかなかなれないと、つらいですよね。

今回は、そうした罪悪感と「消さずにうまく付き合っていく方法」を、考えてみます。

罪悪感は悪者ではない

罪悪感をもっている人は、実はなんとなく、その思考の歪みに気づいていたり、こんな考えばかりではだめだと、その罪悪感を打ち消そうと頑張ったりします。

でも考えてみれば、その罪悪感もその人から生まれた大切な感情ですから、それを否定するのもまた「自分を否定すること」になってしまうのではないでしょうか。

実際、割り切ろうと思っても「どこか無理して考えを変えようとしている感」があり、なかなかうまくいかなかったり。

ですから私は「罪悪感は解消しようとせず、付き合っていく」と考えた方が、心に無理がないのではないかと思います。

そもそも罪悪感というのが生まれる背景には「愛」「思いやり」「優しさ」が必ずあります。

「人を大切に思っているから」迷惑をかけることに罪悪感を抱く。

「人に責任を押しつけたくないから」物事を自分のせいに感じる。

「人に幸せになってほしいから」そのための能力が足りない自分に嫌気がさす。

そういった感じです。

逆に、人に迷惑ばかりかけているのに罪悪感の欠片も感じていなそうな人っていますよね。

そういう人より罪悪感を感じやすい人の方が、人のことを考える能力には長けているのではないでしょうか。

(たまに迷惑かけてる割に憎まれない人もいる。ずるい。笑)

そういうわけですから、そもそも悩んでいる時点で、その人は凄い人なのです。

罪悪感は否定せず「これでいい」と受け入れてあげましょう。

逆の立場になって考えてみる

「受け入れる」という大前提が身についてしまえば問題はほぼ解決したもの同然なのですが(笑)、もう少しプラスしたい人は「逆の立場になって考えてみる」のも有効です。

もし他人が同じ罪悪感を感じていたら、あなたはどう思うでしょうか。

「そんなの大したことないよー、気にしなくていいのに」と思うのではないでしょうか。

罪悪感を感じている時というのは「自分が一番自分を責めている」ということがよくあります。

客観的にみれば罪でもなんでもないのに、誠実に考え過ぎた結果、罪悪感という「妄想」を巨大化させてしまっていることが多いのです。

実際にはないものを脳がつくり出してしまっているかも、と分析してみることも大切です。

また、可能であれば自分の頭の中だけで考えず、「こういったことで罪悪感を感じてしまっている」と誰かに話してみるとよいでしょう。

すると意外とあっさり「別にいいんじゃね?」なんて返ってきたりするものです。

想像だけでは無限に膨れ上がってしまうので、時々アウトプットして脳をクリアにしましょう。

「ごめんなさい」より「ありがとう」を

罪悪感には中毒性があります。

自分を責めれば責めるほどクセになり、些細なことでも罪悪感を感じやすくなることがあります。

ただ、人は誰でも少なからず他人に迷惑をかけているものです。

キリスト教の「原罪」ではありませんが『人は生まれながらにして罪をもち、そこから逃れることはできない』のかもしれません。

罪がゼロにならない以上、罪悪感をなくそうと自分を完璧にしようとしても不可能なわけです。

だから、自分を責めて謝罪の気持ちばかりになってもキリがないので、ほどほどでよいでしょう。

それよりも私は「感謝」に目を向けることが大切だと思います。

「フォローしてくれてありがとう」

「一緒に頑張ってくれてありがとう」

「こんな私に付き合ってくれてありがとう」

的な。笑

もちろんきちんと謝ることも大切な要素ですが

「ごめんなさい」 < 「ありがとう」

のバランスの方が、気持ちいい感じがしませんか。

自分の罪悪感を受け入れ、それでも付き合ってくれる人(少人数でよい)に感謝しつつ、楽しく生きていきましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました