「自己肯定感を上げる方法」
「強いメンタルを作る方法」
このような本は世の中にたくさんあります。
私もよく読みます。笑
これらを読んだ時って、その瞬間は「いいこと書いてあったな。前向きになれた気がする!」と思って、元気になったりします。
でも、日常に戻るとまた弱い自分が顔を出してしまい「やっぱりだめだ…違う方法でも探してみよう」となってしまうことも多いです。
「◯◯ダイエット」みたいなやつを次々と始めてみるものの、どれも長続きせず痩せられない、というのと同じかもしれません。
もちろん、これらの情報がすべて悪いわけではなく、示唆に富んだものもたくさんあります。
でも、そこには絶対に書いておくべき大切なことが抜けてしまっていることが多いのです。
今回はそんなお話をしたいと思います。
多くの自己啓発書に書いていないものとは
多くの自己啓発書は、まず「生きづらさの原因はこういうところ」という解説から始まり、それに対して「どう考え方を変えればいいのか」という方法が書かれています。
ただ、なぜかあまり触れられない要素がひとつあります。
それは「継続の重要性を強調していない」ということ。
私は内容そのものよりも、これが一番大切なことだと思っています。
逆に継続ができれば、多少内容が適当でも効果は出たりもします。
例えばですが「抗うつ効果」が確かめられている薬物療法や運動療法は、だいたい1〜3ヵ月継続した上での結果となっています。
ある方法を試そうと思った時、継続期間はそのくらいが目安になるでしょう。
いまをよりよくしたいと思っている人はどうしても速効性を求めてしまいがちです。
でもそこを少し我慢して、しばらく続けてみてはどうでしょうか。
心も体も、それほど急には変われませんから。
以下では参考程度に、私がお勧めしている言葉を2つ紹介しようと思います。
これをヘビロテして脳に覚えさせてしまいましょう。
「生きてりゃ100点」で自己肯定
自己肯定には「根拠のある自己肯定」と「根拠のない自己肯定」があります。
わたしはどちらも大切だと思いますが、土台となるのは「根拠のない自己肯定」です。
「根拠のない自己肯定」とは、何がなくとも「生きてりゃ100点」ってやつです。笑
その土台がしっかりしていないと、上にいくら「根拠のある自己肯定」を積み重ねても、崩れたり倒れたりしてしまいます。
「いつも100点を取る自分は凄い」
「いつも人に優しい自分は凄い」
これが「根拠のある自己肯定」ですね。
これによって自信をつけるのももちろん悪くはないのですが、これ「だけ」に頼るのもあまりお勧めはできません。
例えば
「調子が悪くて80点しか取れなかった」
「疲れていて人に優しくできなかった」
このように、自己肯定の根拠が揺らいでしまう時が、必ずあります。
その時に「根拠のない自己肯定」による土台がしっかりしていれば、大きく崩れることはありません。
しかし、この土台がしっかりできていないと、根拠がなくなったと同時に自己肯定は崩れ去ってしまいます。
そしてそれを防ぐために、また次の根拠を探し出す。
私はこれを「根拠依存状態の自己肯定」と呼んでいます。
これは、子供の頃から結果を意識させられてきた優等生などに多いのかもしれません。
「100点取ったね!凄い!」
ここまではいいのですが、ある日調子が悪かったとして
「今日は80点か。次はもっと頑張らなきゃね」
といわれると、点数を取らなければ認めてもらえないと勘違いしていく可能性があります。
「80点か。ま、頑張ってるし何点でもOKよ」
くらい、言ってくれてもいいのではないでしょうか。笑
やや脱線しましたが、この「根拠依存状態の自己肯定」は長年培われてきた「思考のクセ」のようなものなので、一朝一夕には変えられないかもしれません。
おそらく行き詰まるとまた「根拠探しの旅」に出てしまいます。笑
別に行ってもいいのですが、その前に「根拠のない自己肯定」という土台を作らないと、空回りの繰り返しになる可能性が高いです。
ではどうすればいいかというと
「生きてりゃ100点」
これのヘビロテです。一度では多分覚えないので、うまくいかない時や自信をなくした時、なんなら一日中、繰り返し頭で唱えましょう。
しつこくてごめんなさいですが、「何度も」唱えるのです。ヘビロテ。
「思考のクセ」は長年かけて作られたものなので、こうしないとなかなか変わりません。
ちょっと自己啓発本を読んでいいなと思っても、しばらくするとまたいつもの弱い自分に戻ってしまう、そんな方が多いのはこのせいです。繰り返していないから。
とにかく
「生きてりゃ100点」のヘビロテで「根拠のない自己肯定」という土台を作る。
そのあとで根拠を積み重ねれば、自己肯定の山が増えていき、仮に根拠がひとつどこかに行っても動じない心を持てるのではないでしょうか。
「それがどうした」でストレススルー
はじめに書いてしまいますが、これもヘビロテ推奨ワードです。笑
人は生きている限り悩みや不安は浮かんでくるものです。
これは脳に仕組まれた防衛本能で、悩みや不安が生まれることにより過去や未来を分析し、危険が現実化しないように人を動かす、高度なシステムです。
ただ、この機能は人によってかなりの性能差があり、高性能な人は悩み過ぎてパンクしそうになることがあります。笑
しかも「心配事の9割は起こらない」という本があるように、正直この機能はたくさん使用する意義は薄いです。
だから意識して使い過ぎをやめた方が「楽しく」過ごせます。
そのための言葉が「それがどうした」です。
悩みや不安は消さなくていいです。ただ、その後に「それがどうした」をプラスするだけ。
「仕事でミスをした。それがどうした」
「家事ができない。それがどうした」
「コミュニケーションが苦手。それがどうした」
「眠れない。それがどうした起きてればいい」
「人生に行き詰まってる。それがどうした生きてりゃ100点」
若干乱暴ですが、そんな感じでしょうか。笑
「それがどうした」をくっつけると、なんとなく大したものじゃなく感じたり、自分の力で乗り越えられる感が出るものです。
「それがどうした」をつけたら「大したものじゃない」となったら、スルー。
「それがどうした」をつけたら「乗り越えられる気がする」となったら、やってみる。
「それがどうした」をつけてもつらいようなら、諦めて逃げるか、誰かに頼る。笑
これも一回や二回やっただけではあまり効果はないです。
すべての悩みに付け足すくらいの勢いでやってください。笑
そうするとだんだん、ストレススルーのスキルが身に付いてきますから。
悩みは「消す努力」をするのではなく、あらわれても「問題視しない」ことが大切です。
そのための「それがどうした」、ぜひ使っていただきたいと思います。笑
ぶっちゃけ自己流の言葉でいい
今回は「生きてりゃ100点」「それがどうした」の2つを紹介させていただきましたが、言葉なんて自分にしっくりくるものであればなんでもいいです。
ただ、自信をなくしそうな時、悩みや不安が浮かんだ時、もっといえばいつも心に「座右の銘」を持っておき、それをヘビロテして脳に刷り込むのです。
そうするとだんだん思考回路が変わってきて、生きやすくなってくるものです。
勉強や筋トレと同じで、脳を変えるにも反復が必要です。
「楽しく生きるための言葉」を、繰り返し繰り返し刻み込みましょう。
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